「様々なタスクの要求性能に応じて設定された動きで,材料・部品・器具あるい は特殊な装置を移動させる,再設定可能で多機能なマニピュレータ」アメリカロボット協会,1979
これが委員会による定義であることは明かである.なんとも空虚で刺激がない. 「ロボティクス」としてより適切には次のものを含むべきだろう:
Webster では次のように説明している: 人間が通常有する機能を実現する自動装置.または,人間の形状を持つ 機械.
ロボットという言葉の使用が導入されたのは,1921 年 1 月にプラハで幕を挙 げた彼の演劇 R.U.R. (ロッサム万能ロボット会社) においてで ある.この演劇は非常な成功を納め,すぐにヨーロッパやアメリカでも開演した. R.U.R のテーマは,技術社会における人間の非人間化であった. ここで,ロボットが機械的ではなく,化学的な意味で生成されたことには驚きを 覚える.実際 1935 年に書かれたエッセイでは,チャペックはアイディアが実現 可能かどうかを第3者に次のように強く問うている:
「金属仕掛けのものが人間に置き換わり.彼らが何か生命・愛情や反乱に気 付く,というアイディアのすべての責任を彼が拒絶するのは正直なところ恐 怖であった.彼は,この暗い見通しは機械への過大評価か生命に対する重大 な攻撃であると判断していた.」??[ロボットの著者が自己弁護 − カレル・チャペック,リドビ・ノビニー, 1935 年 6 月 9 日,米翻訳:ビーン・コムラダ]
ロボットという言葉が作家であった兄のヨゼフによって実際に造語されたとい ういくつかの証拠がある.短い手紙の中でチャペックは,人工的な労働者を新た な劇中でなんと呼べばいいかを兄のヨゼフに相談している.カレルが「labori では堅苦しい」と考えていることを示すと,兄は「それならロボットと呼べば」 とつぶやいて仕事に戻った.このようなそっけない返事により我々はロボットと いう言葉を手にしたのである. R.U.R は多くの図書館で見つけられる.ほとんどの英訳は P. セルバーが 1920 年代に翻訳した原作に不忠実なものである.現在では,正確な翻訳は Towards the Radical Center と呼ばれるチャペック著作集として北ヘブ ンのキャットバード出版 (tel: 203.230.2391) により出版されている.
「ロボティクス」という用語はロボットの研究や使用を指す.この用語が造語さ れ初めに使用されたのは,ロシア生まれの米化学者で作家であったアイザック・ アシモフ (1920 年 1 月 2 日生,1992 年 4 月 6 日没) によってである.アシ モフは驚異的な幅広さの作品を著している.彼は,彼の多くの SF 作品によって よく知られている.最も有名なのは「われはロボット」(1950),「The Foundation Trilogy 」(1951-52), 「Foundation's Edge」(1982) そして「The Gods Themselves」(1972) などである. ヒューゴ・ズッカレリ賞を受賞している.
「ロボティクス」という言葉は 1942 年に発表された短篇「Runaround」におい て初めて使用された.これらの話を収録した「われはロボット」は 1950 年に出 版された. アシモフは3つの「ロボティクス3原則」も提案している(後に「ゼロ原則」を 追加している).
この話題に対する興味深い記事がある:
クラーク,ロジャー,「ロボティクスにおけるアシモフの原則:情報技 術との関わり」,パート 1, 2, Computer, 1993 年 12 月,pp.53-61, Computer, 1994 年 1 月, pp.57-65.
この記事には,彼の原則と彼の著作にどのようにそれが現われているか, それが現在と未来の技術にどのように関わっているかに関する興味深い議論がある.
現代の産業アームは,コントローラや言語開発環境・改善された機構・センシン グ・駆動システムなどに関して進歩している.1980 年代の中頃にロボット産業 は自動車産業界による多大な投資を主因として急成長を遂げた.... The quick leap into the factory of the future turned into a plunge when the integration and economic viability of these efforts proved disastrous. The robot industry has only recently recovered to mid-80's revenue levels. In the meantime there has been an enormous shakeout in the robot industry. In the US, for example, only one US company, Adept, remains in the production industrial robot arm business. Most of the rest went under, consolidated, or were sold to European and Japanese companies.
最初の自動機械に関する研究団体はおそらくグレイ・ワルター機械 (? machina) (1940 年代) とジョン・ホブキンス飛行機 (? beast) であろう.遠隔操作また は有線制御 (? remote controlled) された装置は,かなり初期に製作されてお り,少なくとも 1890 年代にニコラ・テスラによって最初の無線車両が製作され ている.テスラは誘導モータ・AC 電源変圧器や他の数多くの電子装置の発明者 としてより知られている.また,テスラは人間と同等の知的機械の構想を持って いた. テスラの優れた伝記は次のものである:「テスラ -時間を越えた男- (Tesla,Man Out of Time)」マーガレット・チェニー,プリンティス・ホー ル,c1981.
SRI 社のシェーキーは 60 年代後期に高度に構造化された室内環境で誘導を行い, モラベックのスタンフォードカートは 70 年代後期に自然の室外シーンへの取り 組みを行っている.その後,高速道路を走行したり室外を誘導するような商業上 の自律的な移動機械の研究が激増した.
個人用ロボットの歴史に関する記事:
個人用ロボットに何が起こっているか?:スタン・ヴェイト, The Computer Shopper, Nov 1992 v12 n11 p794(2)
個人用ロボットに何が起こっているか?(第2部):スタン・ヴェイト, Computer Shopper, April 1993 v13 n4 p702(2)
著者はオンライン上にこれらのテキストを有しているが,これを FAQ へ組み込 むか ftp 可能な個別ファイルとして置けるようなものを探している.